読書の秋~行くものは行かず~

雑学

2017.10.26

今日はいつもより少し堅い話を一つ

わたしが大学生の頃、東洋哲学を専門とする先生と懇意にさせてもらっていたのがきっかけでその先生の講座やゼミをいくつか受けていました。
日本の思想・哲学としては最高峰に位置する道元禅師の『正法眼蔵』を読み解くゼミや、
ウパニシャッド哲学から大乗期までの東洋哲学史を学んだり『唯識』の思想について議論するというものでした。
中でも時間をかけて学生間で議論したものがナーガールジュナ(龍樹)の『中論』についてでした。

龍樹はインドではシャカに次ぐ大哲学者・仏教者と言う位置づけの人で、
中論の中で『行くものは行かず』という論を展開しているのですが、これについての議論が当時わからないながらも、非常に興味深かったのを覚えています。

 

『行く』という行為自体にはすでに行く主体が存在しているから、 『行くものは行く』としてしまうと更にもう一つの主体が存在してしまう、
だから『行くものは行かず』でいい、というような話だったような・・・。

 

家庭教師の仕事に就いてから、倫政の授業を学校で受けている法曹に興味のある高校生に出会い、高校の授業でも龍樹が出てくることを知りました。
初めて高校生と龍樹の話をするという経験をしましたが大学当時のことを思い出し感慨深かったです。

『正法眼蔵』にしても『中論』にしても専門の学者が一生の研究にテーマにするような難解なものですが、
かみ砕いた内容の本も刊行されていますので、気になった人は是非、検索してみてください。

ちなみに大学時代の恩師は禅宗の僧籍を持つ人で、後で知ったのですが、学者としても非常に高名な先生でした。

 

この先生曰く、『行くものは行かず』に対する学生間の議論や意見発表が煮詰まった後、
納得しきれていない学生に対して『ここから先を理解したければ座らないと(座禅・瞑想)それより先には行けないだろうな。』と言い放っていました…。

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